なぜ同性婚?

同性婚──平等で寛容な日本への試金石


■広がる同性カップルの法的保護への動き

2015年4月に東京の渋谷区と世田谷区が同性パートナーシップ証明の発行を始め、世間の耳目を集めた。さらに2016年4月に三重県伊賀市、6月に兵庫県宝塚市、7月に沖縄県那覇市がこれに続いた。
海外でも2015年6月に米国連邦最高裁が同性婚を合衆国憲法が認める基本的人権であると判示し、ホワイトハウスは性の多様性を象徴する虹色のイルミネーションで彩られた。同年7月には欧州人権裁判所も同性カップルの法的保護が欧州人権規約上の義務であると結論づけた。台湾でも同性婚の法制化を公約の一つに掲げた蔡英文総統が就任し、同性婚を認める法案を近く立法院に提出すると見られている。

■同性愛者の差別禁止は世界の流れ

「性」は個人の感情を大きく動かす。同性愛者でなくても自らの性を公にすることにためらいを覚えるのは自然だし、自らの性的指向(誰を好きになるか。性の向かう方向性)と異なる人達の性的な営為に嫌悪感を覚えるなと言っても簡単なことではない。しかし、性は人間性を規定する根源的な要素である。同性愛者は、社会の偏見や差別によって自らの人間性の根源を封印せざるを得ず、苦しんできた。
しかし、性的指向や性自認(自分が認識する性別)は、単に「男」「女」だけに区分できるものではなく、実は多様であることが明らかにされ、WHO(世界保健機関)や日本精神神経学会は、20世記末までに同性愛を治療の対象から外した。また2007年に国連人権理事会で承認された「ジョグジャカルタ原則」やEU基本権憲章などに加え、南アフリカの憲法など多くの国の国内法が、性的指向による差別を禁止している。潘基文国連事務総長も、「あなたが誰であろうと、誰を愛そうと、人権はすべての人のためにある」 として、LGBT(同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーなどの総称)を含む全ての人たちが、国連や国際人権法による保護を受ける権利があると繰り返し述べている。出身地や肌の色と同様、性的指向も自らの意思により選択したわけではない以上、差別は許されないという認識は、すでに多くの国で共有されている。
なお、性自認に関しては、日本でも2003年の性同一性障害特例法により、性適合手術を受けるなどの条件を満たした場合にのみ、自らの性自認の性別に変更することが認められている。世界には無条件で性別選択の自由を認める国が増えている。
同性愛者や両性愛者は世界のどの地域、どの時代においても人口の3〜5%程度を占めるとされる。日本は男色や衆道と呼ばれる世界有数の同性愛文化を育んだが、帝国主義の時代、明治政府が欧化政策を進め、国家優先の論理によって国民を画一的に管理統制した結果、古来の文化は軽視されて性の多様性は顧みられなくなった。そうした風潮は20世紀の戦争や高度経済成長期を通じて強化され今日に至っている。

■法律自体が同性愛者を差別している日本
今日の日本は同性愛者を迫害していないと言われることがあるが、これは誤りである。確かに同性愛者というだけで処罰されることはない。海外で見られる宗教的な迫害や暴力もあまりない。しかし同性愛者やトランスジェンダーの子どもたちの多くが学校でいじめに遭い、自殺を図っていることが多くの調査で明らかになっている。2015年12月に神奈川県の海老名市議会で差別発言をした議員が辞職勧告決議を受けたように、公にはそうした差別発言は許されなくなってきているものの、依然として無知と偏見による差別意識はまだ根強い。
さらに、同性カップルやそこで育てられる子どもたちは、結婚した家族に与えられる法的保護、税や社会保障上の権利や給付から排除されている。パートナーの子どもを保育園に迎えに行っても実の親だと認められず子どもを返してもらえない。パートナーや子どもが病気になっても介護休暇を取得することができず、家族として健康保険でカバーもされない。長年助け合い連れ添ったパートナーに先立たれても、死亡退職金は支給されず二人で築いた財産の相続も認められない。親族から葬儀への参列を拒否される場合もある。パートナー名義で契約していた賃貸住宅は継承権がないので退去するよう迫られる。同性カップルやそこで育てられる子どもたちは、安定した家族関係を維持することすらできず、家族が亡くなった際にはさらに深刻な労苦を強いられているのである。なお、事実婚も同性カップルには認められていない。
何より、結婚という人間・社会にとって最も大切な法制度から同性愛者を排除している現状は、同性愛者に対する法律上の差別であると言うべきである。法の下の平等は、人類の文明が近代に到達した普遍的な公理であるはずだが、法律自体が不平等を認めてしまっている現状では、同性愛者に対する社会的な差別や偏見をなくすことは論理的に不可能である。

■本当の自分を隠し続け、親も自らを責めた
私自身、自分が同性愛者であると思春期に気づいてから、そのことを誰にも言えず苦しんだ。多くの学生が青春を謳歌するはずの大学時代は、本当の自分を隠し続ける4年間だった。多くの人と同じように、将来、結婚して家族を持つことができないのだと思うと絶望した。
両親にそのことをカミングアウトできたのは社会人になって経済的に独立できてからである。両親は当初驚き混乱して、事実を理解し私を受け入れられるまでに数ヶ月の時間を要した。理解できてもなお、息子が同性愛者だったと気づかず、その苦しみを理解できなかったのは親として失格だったと自分を責めた。
しかし、責められるべきは同性愛に無知であり偏見のあった社会であるはずだ。子どもの苦しみを理解できないほど親としてつらいことがあるだろうか。現在、そして未来に子育てをする親にそんな残酷な経験をさせたくないと思う。
それでも、カミングアウトでき、両親に同性愛者としての自分を受け入れてもらえた自分はまだ幸せである。今日でも多くのLGBTの人たちが自らの性的指向や性自認を最も信頼すべき家族にすらカミングアウトできず、理解し受け入れてもらえないのが実情である。

■人類の最も伝統的な制度を維持するために
結婚は人類の文明が持つ最も伝統的な制度の一つだが、時代と共にその形態を変容させてきた。今日では人種や階級を超えて結婚する自由が認められ、結婚における男女の平等も進展した。同性婚もそうした結婚制度の現代的な発展の一面である。
日本国憲法第24条が同性婚を禁止しているとの論もあるが、これは親による強制や男性の支配を結婚から排除する起草時の意図を忘却した主張である。そもそも日本は立憲主義国家である。憲法は全ての個人の人権・自由を守るために存在する。外国人であってもその基本的人権は日本国憲法により日本国内では守られる。70年前に公布された憲法に同性婚が明示的に規定されていないからといって今日でも同性婚が認められないというのは、同性愛者を含めた全ての個人の基本的人権を守るために憲法が存在するという立憲主義の理念に反する。
日本国憲法が同性婚を想定していないのならば、国会が時代の要請に応じ同性婚を法制化することは、人類にとって最も伝統的な結婚という制度を今後も維持するために必要であろう。先に述べた「法の下の平等」に加え、「幸福追求権」、「性別に基づく差別の禁止」なども憲法の重要な理念であり、同性婚を法制化する根拠になると言えるだろう。

■多様な性を認める経済が世界の6割
世界初の同性パートナーシップは四半世紀以上も前、1989年にデンマークで法制化され、2001年にはオランダが同性婚を世界で初めて正式に認めた。今日までに同性婚あるいは同性婚に相当する同性パートナーシップなどの制度を法制化した国は米英仏独など欧米のみならず、ブラジルや南アフリカなど全世界で47カ国にのぼる。私たちが関わる多くの国で同性婚は基本的人権として認められている。
日本国憲法の前文には「われらは・・・偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と崇高な理念が掲げられているが、日本は同性婚未承認国として残念ながら先進諸国の中で不名誉な地位を占めている。2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、同性婚している人たちが仕事や観光で日本に来ることも増えるだろう。日本が同性愛者に家族形成の自由を認めないことで生じるリスクが高まってきている。
すでに日本人の半数近くが経済成長をほとんど経験したことがない世代だ。人口が減る日本の活力が衰退するという不安を多くの国民が漠然と共有している今こそ、あらゆる人たちの能力が発揮される社会が必要である。
日本の一人あたりGDPはバブル期直後に世界3位になったが、現在ではOECD加盟国中20位にまで低下した。日本より上位の19カ国はいずれも同性婚や同性パートナーシップ制度を有している。同性婚あるいは同性婚に相当する同性パートナーシップなどの制度を有する47カ国のGDPを合計すると世界の約6割を占める。家族形成の自由を認める国の方が経済的に繁栄している。性的指向に関わらず結婚を認めることは、多様な力が発揮される平等で寛容な社会を作り、衰退の不安を繁栄への希望に転換できるかどうかの試金石だと言えるだろう。

■日本でも同性婚の法制化を
日本でも、前述した自治体における同性パートナーシップ証明の発行や、企業によるLGBTに対するサービスや製品の提供、福利厚生を社員の同性パートナーにも適用するなど、自治体や企業の前向きな取り組みが広がってきていることは心強い。
LGBTの理解促進を目指して毎年開催されている東京レインボープライドには、2014年に安倍昭恵首相夫人が、2016年には自民党の稲田政調会長や民進党の細野豪志前政調会長など主要政党の幹部がそれぞれ参加した。
政府が2016年6月に閣議決定した「一億総活躍プラン」の中で「性的指向、性自認に関する正しい理解を促進するとともに、社会全体が多様性を受け入れる環境づくりを進める」と明記したのは当然の流れである。
2016年7月に実施された参議院選挙では、国政選挙としては初めて、自民党を含む主要政党の全てが同性愛者などLGBTの人権に関する施策を公約に盛り込んだ。EMA日本の調査では、同性婚に賛成と答えた候補者は100人以上を数え、うち25人が当選した。2015年には国会で超党派のLGBT議員連盟が活動を始めた。日本でも一日も早い同性婚の法制化を期待したい。

NPO法人 EMA日本(いーまにっぽん)
理事長 寺田和弘
2016年7月16日

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Comment

  1. 台湾が同性婚の検討段階に入るという。日本はどうなるのだろう?
    西欧各国ではゼロ年代に次々と登録パートナーシップ制度、ないしシビルユニオン法が制定された。
    リベラル政権下で法制度が進んだケースが多い。

    日本も09年に政権交代を経験した。しかし、同性婚のどの字も聞かれなかった。自死に関する対策に性的マイノリティが考慮されるようになったのが、やっとだ。これは日本が遅れているからなのか?しかし、どの国も登録パートナー法施行段階においては、同性愛への理解は日本とほとんど変わらなかったはずだ。

    実際のところ、日本のLGBTコミュニティが、リベラル政権が誕生するまでに、同性婚を政治的イシューとするところまで持っていけなかった、というのが正しい。90年代後半からゼロ年代の初めは、運動の進め方の相互批判、90年代の総括とパレードの運営の内輪もめでほぼ終わったのだ。社会への働きかけなど、ほとんどなかった。

    さて、現状では社民党や共産党を除いて、同性婚はおろか同性パートナーシップについても、さほど議論が進んでいない。伝統的家族観を大切にする自民党だけではなく、民進党も態度が不明確なのは、保守層の支援者への影響を考えているのもあるだろうが、やはり大きいのは憲法との兼ね合いだろう。

    日本には憲法裁判所が無い。同性婚と憲法の兼ね合いついて、現状では、最高裁に判断を仰ぐしかない。同性婚人権救済申し立ての後に、訴訟が検討されているという。そうなると、人権申し立てに2年、夫婦別姓訴訟を例に考えるなら提訴から判決まで4年。

    判決ではおそらく、憲法24条は同性婚を排除してはいないが云々、というものになるだろう。そうなると、さらにそこから法制度まで何年かかるのだろう?

    同性婚に賛成の議員が25人いたとしても、それ以上に、伝統的家族観を大切にする日本会議に賛同している議員は300人ほどいる。10年後はどうなっているだろう?

    最近、TRPに右派の政治家が来た事などが批判されもしたが、もし90年代の後半からの10年間を、社会や政治家への働きかけに利用していたら、わらをもすがりたい現在のような事態にならなかったはずだ。09年の政権交代時に何も出来なかった世代のツケを、今払っているような気がする。この顛末に学び、これからの運動の進め方に、10年後に負担すべき重荷の軽重がかかっていると思う。

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